不受不施の話(115

導師不導師の問題(13

 日講は日指方破門を知っていたのだろうか。
 何処かの時点で知ることにはなったとは思うが…。
 日指は「自ら所持する本尊お曼荼羅を拝することを日相が是としてくれない」という失望があったようだが、日相がそれを認めることはないだろう。
 日相へのブーイング、悪口誹謗は相当なものだったようで、『容易に改悔を赦されぬよう』と岡山の信者が日相に申し入れしたほどであった。
 そこに、日指方から貞享二年十二月二十二日に本柳院及び市郎太夫の両人が総代改悔に上京した。
 日相は「いま日講へ願書を遣わしたればその返事来るまで相待つべし」と申聞けたから、両人はそのまま帰国してその趣きを覚隆院等に伝えたそうだ。
 その後は進展がなく、日指方は京都に足を運ぼうともしない。
 これでは日講が日指方に味方をして力を貸しているように見えるというので貞享三年二月二十八日、日指方の本柳院に続いて二名を選ばしめ、受正院および石坂嘉右衛門を日指方真俗総代として改悔の一札を徴し、日講の指揮に従うよう誓わせたのであった。

寺報第273号から転載